【レポート】太宰治のふるさとを巡る旅〜青森県五所川原市金木〜

こんにちは!最近、蚊にモテてモテて大変困っています。
ハタチを過ぎてから刺された痕が残るようになったんですよね…あぁ、つらい。

さて、今回は「作家・太宰治のふるさとを巡る旅」レポートです!
津軽出身の文豪と言えば太宰治。
私のふるさとである三鷹に住んでいたということもあって、中学生の頃に大好きになった作家です。
2回目の津軽ですが、遂に念願叶って太宰ゆかりの地を巡る旅を敢行しました!!
太宰治ってどんな作家?
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さて、みなさんは太宰治と聞くと、どんなイメージが思い浮かびますか?
『人間失格』、浮気ばかり、最期は玉川上水で入水自殺…
そんな破滅的・退廃的な「デカダンス」のイメージが強いのではないでしょうか。

実はそれだけではありません!奥さんの美知子さんと結婚し、安定的な生活を送っていた中期の頃の作品は明るく健康的で、人を楽しませることが好きだった太宰の一面を見ることができます。
誰もが一度は読んだことはある?『走れメロス』なんかはまさにそうですね。

さてさて、語り始めるとキリがないので、早速レポートへと参りましょう!
■太宰のふるさと・金木町
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車で走っていると、フェンスに太宰の似顔絵と「太宰のふるさと金木町」の文字が浮かんできました。遂にやってきたぞ!
「金木町」とは北津軽郡にあった太宰のふるさとですが、2005年に五所川原市と合併し、現在は「五所川原市金木」となっています。

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津軽三味線発祥の地としても知られ、「津軽三味線会館」では福士師匠による演奏会も催されていました〜

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合浦公園

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まず最初に訪れたのは「合浦公園」。
太宰が通っていた旧制青森中学校(現県立青森高校)がすぐ裏にあったそうで、小説『津軽』の中では、この公園を通って学校へ通っていたことを振り返っています。
松林を抜けると青森湾へと続く海岸が。夏に解放され、多くのお客さんで賑わうそうです。

中学時代の太宰はさざ波の音を聞きながら勉強していたんですね!うらやましい…
この日の朝はあいにくの雨でしたが、池の水面に雨が降り注ぐ様子はなかなか風流でした。橋の上での1枚!

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太宰治の生家・斜陽館

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お次は太宰ファンなら絶対に訪れる、太宰の生家「斜陽館」です!
昭和25年から46年間、「旅館 斜陽館」として親しまれた後、平成8年に記念館として生まれ変わりました。

金融業を営み、貴族院議員でもあった太宰の父・津島源右衛門が建てた680坪の大豪邸で、米蔵に至るまで青森ひばが使われているという豪華っぷり。

青森ひばは秋田スギや木曽ヒノキとともに日本三大美林に選ばれている高級木材で、精油は化粧品等にも利用されています。

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金融業という職業柄、小作争議に備えてレンガ塀をめぐらし、役場・郵便局・警察署・銀行などの中心に構えたと言われているようです。
そんな、人々から搾取を繰り返す「資本家階級」に生まれたことに太宰は強いコンプレックスを抱いていました。

中に入ると、それぞれの部屋にエピソードがあってとっても興味深い!
こちらは太宰が誕生した「小間」。叔母と4人の姉たちと共に暮らした思い出深い部屋で、「六月十九日」という随筆の中には誕生のときの様子が記述されています。

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こちらは母の居室であったと言われる、「書斎」。次兄の英治さんによると、兄弟や友達が集まって遊んでいたこともあったとか。
右から3番目の襖に書かれた漢詩には「斜陽」の文字が見えます。と、いうことは、太宰は少年の頃に見たこの文字を小説のタイトルにつけたんでしょうか…??
旅館だった頃は「斜陽の間」として太宰ファンに親しまれたそうです。

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そしてこれは生前お気に入りだったというマント!(太宰が着ていたものではなく、同じ形のものをどなたかが寄贈したそうです)

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「三鷹の陸橋での写真にも出てくる、あの憧れのマントがここにっ!!」興奮して着てみたのは良いものの、私が着るとダブダブで何がなんだかさっぱり分からないものになってしまいました…。

参考:五所川原市HP・太宰治記念館「斜陽館」

太宰らうめん

ここでお腹が空いたので、金木町観光物産館「マディニー」にある郷土料理のお店「はな」にて、「太宰らうめん」!!
太宰が金木の実家に帰るとき、いつも楽しみにしていたという「若竹汁」をアレンジしたもので、根曲がり竹(チシマザサのたけのこ)とわかめが入っています。

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食べ終わると、器には小説の中の名ゼリフが!
『富嶽百景』の旅人に向けた言葉がとってもポジティブで好きです。

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ちなみにこのお店がある物産館「マディニー」の名前は、津軽弁の「までに」(心をこめて)から来ていて、お客さんを丁寧にもてなすという思いが込められているんだとか。

太宰治 疎開の家

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そしてこちらは「太宰治疎開の家 旧津島家新座敷」。
戦中、三鷹の家が爆弾で壊れ、甲府の妻の実家も丸焼けになった後、戦渦を逃れて1年3ヶ月あまりを過ごしたのが生家の離れでした。

生家に対して抱いていたコンプレックスがもとで、左翼的な運動にはまった太宰。
一度は兄から勘当されてしまったのですが、被災した彼は実家を頼らざるを得なくなります。この離れは家族から許されて過ごした空間なのでした。
以前は呉服屋さんだったここは、2007年にようやく初公開されたそうです。

今は宅地に囲まれていてよく見えませんが、斜陽館の裏からこのお庭に続いていたんだとか。

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和室は、小説『故郷』の中で重体の母を見舞うシーンに出てくる場所。太宰はたまらくなって独り洋室に行って涙をこらえるのです。

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そしてこちらは数々の作品を生み出したという、太宰の作業場です。

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ここに座ると文章がうまくなるんだとか。遊んでばっかりの私ですが、どうか、どうか無事に卒論が書けますように…!!

時には陽が射し込むこの廊下で執筆をすることもあったそうですよ。

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ここは太宰とお弟子さんたちが語り合ったという部屋!太宰になったつもりでちょっぴり偉そうに?座ってみました(お弟子さん目線)。

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こっちは緊張するお弟子さんのつもり(太宰目線)。

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そして何と言ってもこの「疎開の家」の魅力は、とっても面白くてわかりやすいお話ガイドがあること!
小説の一節を朗読しながら、数々のエピソードを語ってくれます。

小説を読んだことのある人は、「そうそう、そうだったよね〜」、とその内容を思い出しながら、読んだことのない人も太宰の人柄や作品に魅了されること間違いなし!!

ガイドを務めている方は元々ここにあった呉服屋さんの方だったそうなのですが、「疎開の家」として公開することになってから太宰作品を読むようになり、すっかり魅了されてしまったとのこと。

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(写真は大正7年当時の金木村。津島家の存在の大きさが分かります。)

館内にはグッズや本が販売されている「太宰屋」があります。太宰ファンの方はもちろん、太宰をよく知らない方も、斜陽館だけでなくぜひこちらにも遊びに行ってみてください!

芦野公園

最後に訪れたのは芦野湖で有名な芦野公園。太宰が幼い頃よく遊びに来ていた公園で、日本さくら名所100選にも選ばれています。
生誕100周年を記念して作られたこの像は、生家の方角を向いているそうです。

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津軽鉄道、通称「津鉄」の芦野公園駅では「走れメロス号」の姿を見ることができました〜!

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■最後に
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まだ回りきれていない名所はたくさんありますが、これで正真正銘の太宰ファンと言っても恥ずかしくなくなりましたぁ〜!
ただ、ちょっと後悔したのは小説の記憶が薄れていたこと…。PCやスマホだけでなく、本に向き合う時間も作らねばなぁ。
ぜひ、皆様も太宰の名著『津軽』を読んでから、津軽にお越し下さいませ!

「文学散歩」とはよく言いますが、文豪を育てた空間、数々の名作を生み出した空間というのは、もうそれだけで大切な地域資源ですよね。
今度は太宰ゆかりの地巡りin三鷹を企画したいと思います。
ひたすら運転をしてくださったゼミの先輩、本当にありがとうございました…。

おまけ:離れのソファに座る松たか子さん(映画「ヴィヨンの妻」主演)と私
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