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我楽田工房のある街、文京区

坂と緑と学校の多い、東京の真ん中の街。我楽田工房は、その西の端、神田川のほとりにあります。

我楽田工房の中でワークショップをする人たち
我楽田工房(文京区関口)

文京区という街

文京区は、1947年3月15日、小石川区と本郷区がひとつになって生まれました。「文京」という名前は、大学や学校が多く集まる「学問の府」という、この街の特徴にちなんだものです。

区の中は台地と谷が入り組み、坂の多い街です。東京大学をはじめ多くの大学や学校があり、夏目漱石、森鴎外、樋口一葉など、たくさんの文人が暮らした街としても知られています。

本をつくる仕事、印刷と製本も、文京区を代表する産業です。大きな印刷会社から小さな町工場まで、いまも区内に多くの事業所があります。我楽田工房の建物も、もとは印刷工場の倉庫でした。

神田川沿い、境界線の街

我楽田工房の拠点は、神田川が流れる早稲田から江戸川橋エリア。
文京区、新宿区、豊島区の3つの行政区をまたぐ「境界線」の街です。

古くは高台に大名屋敷、川沿いに城下町の上水を支える「関」が作られた場所で、豊富な水を利用した田園と伝統的な染物や印刷などの文化産業も発展しました。

明治以降は、大名屋敷の跡地が公園や美術館、高級ホテルに生まれ変わり、また近隣には早稲田大学をはじめ多くの学校が作られたことで商店街が生まれ、若者と文化の集まる街として栄えてきました。

変化のはじまり

平成が終わりを迎えようとする頃、少しずつまちに変化が起こり始めます。
高度経済成長を支えてきた団塊世代の引退が加速。跡継ぎがいない商店や町工場の閉業が続き、空家・空店舗などが目立つようになりました。

しかし一方で、その空いた空間を利用したお洒落な商店やアトリエ、アートギャラリーなどができはじめ、新しいモノ・コトづくりに挑戦する人達が集うようになりました。

我楽田工房の役割

2014年7月、まちづくりと、未来の価値づくりをテーマに、クリエイターたちが楽しく集う交流スペース『我楽田工房』が誕生しました。

初めのうちは手探りで空回りの状態が続きましたが、徐々に多くのクリエイターや地方とつながり、2年目以降は共通の目的と目標を持った仲間たちと共に、地元の商店や企業を巻き込んだまちづくりプロジェクトをはじめ、東京と地方をつないだ交流事業やソーシャル・イノベーション事業を次々に実施。

これまでの活動により、既存のコミュニティの壁、業種間の壁、世代の壁、まちとまちの間の物理的な距離を超えた「場」と「新しい事業の種」が生まれています。

我楽田工房は今日も日本のどこかで、いまを思いきり楽しみ、そして、未来の価値を、仲間と共につくっています。

近くを歩く

我楽田工房から歩いて行ける、神田川と目白台のあたりの場所です。

江戸川公園
神田川沿いの細長い公園。神田上水の取り入れ口だった大洗堰(おおあらいぜき)を復原した池があり、春は川沿いの桜がみごとです。
肥後細川庭園
目白台の斜面を生かした、池を囲む日本庭園。細川家ゆかりの屋敷の跡です。
関口芭蕉庵
松尾芭蕉ゆかりの庵。神田川を見下ろす斜面に、静かな庭が残っています。
永青文庫
細川家に伝わる美術品や歴史資料を収めた美術館。
ホテル椿山荘東京
かつて「椿山」と呼ばれた高台に広がる庭園。
東京カテドラル聖マリア大聖堂
丹下健三の設計による、銀色の屋根の大聖堂。

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