沿革

まちの歴史

我楽田工房の拠点は、神田川が流れる早稲田から江戸川橋エリア。
文京区、新宿区、豊島区の3つの行政区をまたぐ「境界線」の街です。

古くは高台に大名屋敷、川沿いに城下町の上水を支える「関」が作られた場所で、豊富な水を利用した田園と伝統的な染物や印刷などの文化産業も発展しました。

明治以降は、大名屋敷の跡地が公園や美術館、高級ホテルに生まれ変わり、また近隣には早稲田大学をはじめ多くの学校が作られたことで商店街が生まれ、若者と文化の集まる街として栄えてきました。

変化のはじまり

平成が終わりを迎えようとする頃、少しずつまちに変化が起こり始めます。
高度経済成長を支えてきた団塊世代の引退が加速。跡継ぎがいない商店や町工場の閉業が続き、空家・空店舗などが目立つようになりました。

しかし一方で、その空いた空間を利用したお洒落な商店やアトリエ、アートギャラリーなどができはじめ、新しいモノ・コトづくりに挑戦する人達が集うようになりました。

我楽田工房の役割

2014年7月、まちづくりと、みらいの価値づくりをテーマに、クリエイターたちが楽しく集う交流スペース『我楽田工房』が誕生しました。

初めのうちは手探りで空回りの状態が続きましたが、徐々に多くのクリエイターや地方とつながり、2年目以降は共通の目的と目標を持った仲間たちと共に、地元の商店や企業を巻き込んだまちづくりプロジェクトをはじめ、東京と地方をつないだ交流事業やソーシャル・イノベーション事業を次々に実施。

これまでの活動により、既存のコミュニティの壁、業種間の壁、世代の壁、まちとまちの間の物理的な距離を超えた「場」と「新しい事業の種」が生まれています。

我楽田工房は今日も日本のどこかで、いまを思いきり楽しみ、そして、みらいの価値を、仲間と共につくっています。