【レポート】地域との関わり方を考える〜京都府宮津市へ〜vol.3
今回も前回に引き続き宮津滞在の記事になります。
宮津滞在の初日から翌日にかけて、エコツアーガイドの安田さんに宮津を案内していただきました。
本当に色々な場所を案内して頂きましたので、まずそちらを先に紹介しておきたいと思います!
当時の面影を思い出させる、世屋高原家族村
世屋高原家族村は、バブル期に西武グループがリゾート化を目的に開発を進めていた施設の跡地で、今は宮津市によって管理されています。
広い敷地と、朽ちかけた乗り物。
使い古された遊具は、当時の面影を思い出させます。
冬は5〜6mの雪が積もるという厳しい気候ではありますが、広い土地と里山という立地条件です。なにかしらの方法で有効活用が出来ればと思いました!
「竹」から新たなエネルギーを-宮津バイオマス発電所
次に案内していただいたのが、
宮津の竹を用いたバイオマス発電所です!
ここでは、NPO法人、京都発・竹・流通環境ネットの矢野さんに施設を案内していただきました。
始まったばかりの試みで、現在はまだ発電機は稼働していないそうですが、
竹を粉末にして牛肥と混ぜて肥料にするなど様々な竹の使い道を模索しているそうです。
この挑戦が芽吹けば、エネルギーの問題はもちろん、里山の景観を保つと同時に利益をも生むいい循環が生まれるはず!
今は具体的なアイデアまでは思いつきませんが、未来をガラッと変える竹資源の活用方法があればどんどん提言をしていきたいですね!!
宮津に移住をした先輩に「現地での暮らし方」を尋ねる!
続いて紹介して頂いたのは、昨年定年退職されてから宮津に移り住まれた宮崎さんです。
宮崎さんは釣りが趣味だそうで、定年になったら釣りしながらゆっくり暮らしたいなと思い立ち、昨年宮津に移り住まれたそうです。
宮崎さんは自身の日々の生活を「正に晴耕雨読だね」と笑顔でおっしゃっていて、とても満足げでした。
僕も将来こんな生活がしてみたいです!
また、なにを隠そう釣りが大好きな私、
しっかりと来年一緒に釣りにいく約束を取り付けました!
そしてここまで様々な場所、人を案内してくださった安田さんとはここでお別れです、安田さん本当にお世話になりました!!
さて、少し時間が空いたので、かの有名な天橋立を歩いて渡ってみようということになりました。
天橋立は、宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔て、全長3.6キロメートル及ぶ湾口砂州である。古代より奇勝・名勝として知られ、一例として平安時代の百人一首の小式部内侍の歌「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立」が見られる。今日広く知られている天橋立を松島、宮島と並び称した『日本三景』という語句の文献的初見は、1689年(元禄2年)に刊行された貝原益軒の著書『己巳紀行』において、天橋立について記された箇所とされている。第二次世界大戦後は1952年(昭和27年)11月22日に国の特別名勝に指定、3年後の1955年6月1日に若狭湾国定公園の指定区域となった。現在は2007年8月3日に新設された丹後天橋立大江山国定公園の指定区域となっている。
やはり日本三景。雪舟が描きたくなる気持ちもわかります。
今のままでも十分素晴らしい観光名所である天橋立。「全長3.6キロメートル」という長さを活かせば、更に色々な魅せ方が出来るように思いました。
以前2280人が並び、「手をつないで人のかけ橋を作るイベント」を天橋立でやったそうですが、そういったことを現地でやれたら最高ですね!
丹後ならではの暮らしを提供する「nagaya cafe 桜山」
お昼は、nagaya cafe 桜山でいただきました!
このカフェは、宮津町家再生ネットワークさんが運営されているカフェで、「継続的な町家の再生と活用を推進する仕組みをつくり、丹後ならではの暮らしを創造できるまちづくり」を理念に、他にも様々な事業をしています。
現地で実際に宮津の活性化に取り組んでいる方と会えたのは本当に勉強になりました。
来年Iターンをしようとしている自分が、実際に行って何が出来るのか。何をするべきなのか。深く考えるきっかけになりました。
そして、宮津の芸妓さんにもお会いすることができました!
しかし、お会いした宮津の芸妓さんはチカさんの妹弟子の方が最後の一人だそうです。
代々受け継がれてきた文化を絶やしてしまうのは心寂しいことですし、宮津の「芸妓」という文化を後世に伝えるために、自分が出来ることがあるならば一つ一つカタチにしていきたい!そう思いました。
以上が宮津滞在二日目のお昼までのお話になります。
次回はワークショップ編です!
ではまた!